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【参加報告】12月8日(月): 開戦84年・戦後80年を考える懇談会

2020年より始まった、市民間から対話を通じて平和を作る、東アジア平和大使プロジェクト。

今年は遂に、戦後80年。


東アジア平和大使プロジェクトは今年で6年目を迎えました。


私達はなぜ、「近くて、遠い」のか。その問いを軸に活動をこれまで展開し、

総計で439名の参画者数、51の場づくりを行うことが出来ました。


今年もこれまでと変わらずに東アジアの和解と共生をテーマにしながら、

世代、所属、思想を超え、明日の平和な東アジア地域を望む人々が集える場となるよう、

国内外での活動を実施していく年とします。


12月8日の開戦から84年の日に、シベリア抑留者支援・記録センター有光健氏のご縁で、開戦84年・戦後80年を考える懇談会にてプロジェクトとして戦後80年市民談話の報告をするために登壇しました。


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当日は衆議院第二議員会館第1面談室に、国会議員・秘書、メディア関係者含めて45人ほどが集まりました。

WUJでは第一部に副代表理事の長川が登壇し、戦後80年市民談話の報告を行いました。


当日概要

(日時)12月8日(月)14:00〜16:30

(会場)衆議院第二議員会館第1面談室(1F)


(プログラム)

14:05〜15:00 第1部「戦後80年市民談話」の紹介とコメント

<報告=長川美里(Wake Up Japan)、コメント=戦争体験者、ほか>


15:00〜16:30 第2部「戦争史料アーカイブ・収集展示施設の拡充を求める意見交換」


<出席=浅野豊美早稲田大学教授、内海愛子恵泉女学園大学名誉教授、三須田善弘元県立大学院教授、中田調子戦場体験談映像・保存の会事務局長、笹本妙子POW研究会事務局長、蒲生敏雄全空襲被害者連絡協議会事務局長、小嶋雄二学童疎開資料センター事務局長、遠藤義幸元都兵士を語り継ぐ会共同代表、ほか、司会=有光健シベリア抑留者支援センター代表世話人>




当日は主に第二部にて、国会議員の以下の皆様方にもご参加いただきました。

長妻昭(立憲)、近藤昭一(同)、円より子(国民)、上村英明(れいわ)衆議院議員、高木まり(立憲)、福島みずほ(社民)参議院議員の7人でした。(代理秘書=鈴木宗男、芳賀道也、山添拓、ラサール石井参院議員)


第一部発表内容

第一部で長川より報告した内容を転記します。


<戦後80年市民談話を実施した東アジア平和大使プロジェクトについて>

東アジアの次世代が、「近くて、遠い」と言わない社会をつくることを願い、2020年より実施。参加者一人一人が自分の立場からどんな形でも平和を広げる存在になれるように、過去の歴史的・政治的要因に基づいた日中韓の関係性を今一度客観的に見つめ直し、自分なりの東アジアに対する、多様な時間軸(過去・現在・未来)と他者への痛みを基軸とした、まなざしと姿勢を養えるように年間で月次のイベントを実施。2025年は戦後80年となる8月へ向け、「声を届ける(記憶をたどり、今を見つめ、未来を共に紡ぐ)」をテーマに、市民社会から平和の談話を8/1に発表することを中心にした活動を展開。


<戦後80年市民談話について>

本プロジェクトにおいては、戦後80年の節目に国家の言葉ではなく、私たち一人ひとりの言葉で平和を話すことを願いに、数年前から本構想を始めた。国内外の団体・個人から市民社会の平和を願う声を集めるためにgoogle formを通じてこの一年回答を多言語で呼び掛け、集まった114の声(12/7現在)を、8月1日に「戦後80年市民談話」として発行。回答収集自体は12月31日まで継続予定。収集した声は全てウェブに掲載。参画したい個人・団体が自由に声を閲覧し、共有やそこから自身の活動に繋げ、活動を展開し、作品を創作できるようにしている。


<戦後80年市民談話のプロセス>

①国内外の関係個人・団体:協力のお願い

②賛同してくれた団体・個人

戦後80年へ向けたことばや創作物の提出

匿名選択可能、最短1問のみ数分で完了

③WUJ・賛同してくれた団体・個人:

集まった声全て、談話、創作物、WUJ作成教材のウェブやInstagramへの掲載

想いのある個々人や団体による上記の活用

日本政府や各国政府への共有


<現在までの状況>

  • 114の声を収集。加えてアート作品が2つ個別に提出。

  • Wake Up Japanからは「戦後80年市民談話」と「東アジア談話」が日本語で8月1日に発行。

  • 戦後80年市民談話については英語・中国・韓国語で全掲載、その他集まった声全ての一覧がホームページより閲覧可能。

  • 国内では5記事、国外では3記事(英語・中国語)で報道。

  • 8月1日に内閣府へ嘆願書と共に提出。嘆願の項目としては 日本国政府が「戦後80年談話」を発表すること、その談話を、歴代内閣の歴史認識を継承しつつ、国際社会に対する責任と未来志向の姿勢を明記すること。上記談話を、内閣として閣議決定の上で発出することの3点。


<戦後80年市民談話の内容について>

6月までに集まった声を運営内部で目を通し、プロジェクト責任者である長川が6月に第一項を執筆、その後それをたたき台として運営内部&一部外部関係者と対話を数回実施し最終とした。談話は異なる人同士でも対話ができるように、「いまここに、ないものは、なんだろう。」という核となる問いかけからはじまり、詩的な抽象度の高い談話となっている。当初想定していた集まった声を「まとめる(分ける)」ことはせず、極力解釈を入れない内容とした。社会に生きる立場の異なるそれぞれが本談話を対話の真ん中に置き、今見えていないものが見えるよう、そしてこの先時代を超えたものとなるよう執筆した。


<東アジア談話について>

同じ問いかけから始まる談話だが、抽象度の高い市民談話とは分け、東アジア平和大使プロジェクトメンバーがこの地域の平和を願う時あったらいいな、と思うものについて執筆。主語、共感、平等性、お互いが何を考えているのか知ること、失っていく事を、受け止めること、責任がそれに該当。


<回答者の属性>

  • 必須項目である年代については10~19歳(41)、20~29歳(39)、30~39歳(12)の順で多い。

  • 必須項目である性別については女性46、男性68、いずれにも当てはらまないが1。

  • 任意である「国を書きたい方は記述してください」に対しては14種類の回答:Japan, USA, ROK, China, India, Japan and Swiss, Malaysia, Ghana, Syrian-Dutch, Mongolia, Poland, Sri Lanka, Cambodia, Hong Kong


<運営側による分類分け>

「戦後80年にあなたが伝えたいことは何ですか?」の回答全てに目を通し、声の特性を5つの分類に運営側で分る試みを行った結果、行動(15)、提案(58)、願い(13)、体験(2)、その他(32)の傾向は見られたが、複数も可能とした点、分類わけは運営の解釈が入っている点に留意。以下は参考程度に抜粋。

行動(15)

  • 自分ごととして考える、捉える。

  • 平和のために、まずは自分自身が、清々しく率直でありたい。

  • 戦争体験者に今こそ出会い、耳を傾けたい。戦争はいやだ、怖い、悲しい、だめ、と伝え、戦争のない世界を願い続けてくれた戦争体験者に、生きててくれてありがとうと伝えたい。

提案(58)

  • 戦争の記憶を風化させず、受け継ぎながら過去に学び、対話を重ね、未来へと繋げていく努力が必要だと考えます。

  • 腹を割って各国の若者が話せる場があれば、お互いを知る機会があれば、平和は続いていく。百聞は一見にしかず。外に出て手を取り合っていきましょう。

  • アメリカ支配からの脱却。

  • 今後の世代も引き続いて日本の第二次世界大戦における責任について自覚し、未来志向で交流していく。(謝罪・責任のような文言を市民レベルでどのように入れていくか?)

願い(13)

  • 嫌われたり攻撃されたり排他されたりする恐怖なしで、互いに語り続けたい。戦争それ自体が悪であるとの価値観をすべての国で共有したい。

  • 知らずに嫌うのはやめよう。誰かを好きになったり、嫌いになったりすることは誰しもあるし、それが自然なこと。けれど食わず嫌いは勿体無いし、自分がされたら違和感を感じると思う。根拠なく嫌うのではなく、相手を知った上でその感情をもってほしい。

  • きっと嫌いだと思っている相手でも、その向こうにはあなたと同様に家族がいるし、共通点はある。

体験(2)

  • 戦後80年という時が経ち、当時を経験した方から直接体験を伺うことが極めて困難になりつつあります。私の家族は、4名が戦死しました。一人は伊豆沖で、チューク諸島に向かう輸送船が魚雷攻撃を受け、海へと沈みました。一人は、グアム島で、猛攻撃に散りました。一人は、ガダルカナル島の激戦の中で、ジャングルに倒れました。一人はインドネシアで、過酷な餓えと厳しい衛生環境の中で命を落としました。残された家族は、戦争孤児となって、あるいは一家の大黒柱を失って、厳しい生活を過ごしました。

  • As a Syrian who has lived through war and conflict since the start of the Syrian revolution, I understand deeply the devastating impact of violence and the urgent need for peacebuilding. This anniversary is not just a moment to remember the past, but also a call to action for all of us to work towards a future where the horrors of war are no longer repeated, in East Asia or anywhere in the world.

その他(32)

  • Although 80 years pass, we are still 'close yet so far', I hope all Asia become more familiar and peaceful.

  • 嫌われたり攻撃されたり排他されたりする恐怖なしで、互いに語り続けたい。

  • 戦争それ自体が悪であるとの価値観をすべての国で共有したい。


第一部コメント

長川より報告したのち、以下の方々にコメントを頂きました。

改めて御礼申し上げます。


※敬称略

金澤怜(東京大学学生)、西倉勝、河合節子、小嶋雄二、浅野豊美、内海愛子、有光健


コメントではそれぞれの所属する団体と関連し平和の大切さが強調された他、

戦後80年市民談話の取り組みの期間について、

今後も継続することが望ましいのではないかという声が聞かれました。


第二部

第二部では、戦争史料アーカイブ・収集展示施設の拡充を求める意見交換が実施されました。

WUJでは直接的な参画やコメントはしていませんが、概要を以下にて記載します。


<発言者>

各団体の紹介と抱える課題

戦場体験放映・保存の会(中田順子事務局長)、POW研究会(笹本妙子事務局長)、学童疎開資料センター(小嶋雄二事務局長)、全国空襲被害者連絡協議会(蒲生眞紗雄事務局長)、不戦兵士を語り継ぐ会(遠藤美幸共同代表)


現状を踏まえた意見や提起

研究者として浅野豊美早稲田大学教授、内海愛子恵泉女学園大学名誉教授、三須田善暢岩手県立大学盛岡短期大学教授


映像記録資料の課題についての情報提供

小西晴子さん(ドキュメンタリーアイズ)


<会場からの声(抜粋)>

  • 継続的に議論と検討を続けるために特に3つの情報を整理してほしいとの声が聞かれました。

    • 保管している資料等はどのくらいの量があるのか?

    • 過去にどこかの公的な施設に預けようとして申し出て断られた例があるか? 

    • 資料が海外(韓国・中国など)に渡っている例があるか?

  • 大学も50年、100年と続くわけではないので、国が預かって、活用できるようルールを作る必要がある。


メディア掲載:神奈川新聞


東アジア平和大使プロジェクトでは今後も関連イベントや取り組みに、

積極的に参加する予定です。


情報🎵

東アジア平和大使プロジェクトの概要は以下をご覧ください。

※スケジュールやプログラム内容は若干変更する可能性がございます

※今後のプロジェクト概要について案内をご希望する方は、メールアドレスまでお名前とご所属を明記し、送信してください 東アジア平和大使プロジェクト

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