- wkupjpn
- 8月1日
- 読了時間: 4分
【東アジアの平和】
-東アジア平和大使プロジェクト談話-
いまここに、ないものは、なんだろう。
私たち東アジア平和大使プロジェクトメンバーがこの地域の平和を願う時、
あったらいいな、と思うものは、なんだろう。
主語。
政治談話や、国や政治家、日常で交わされる対話の中で語られる、わたし、わたしたち。
もしくは、明確にされない主体たち。
その中にいるのは、人か、背負っている責任か、国か。
あなたは何を中心にして、軸にして、誰のために、話しているのか。
共感。
自分がされたくないこと。
痛みを伴う記憶の、真っ向からの否定。
歴史となった出来事や、語られる記憶の中に存在する、あいまいなものたち。
あいまいさを弱みにして、他者の痛みへ攻撃をするその行動は、共感力と、想像力の欠如。
大切な友人や家族にしないこと、それは対象が誰になっても、してはいけない。
相手に寄り添うことを大切に。
必ずしも賛成ではなくとも、相手の気持ちと痛みに共感ができるように。
国家も人も、それを持つべきだ。
平等性。
多くの時間が戦後80年、流れていった。
それぞれの国に生きる私たちは、異なった歴史に生きてきた。
ここにいる私たちは、全ての歴史や社会を、
選べるわけではなかったけれど。
私たちには、今ここで時間を共にする、平等性がある。
どちらが国として、経済的に、社会的に、文化的に、上なのか、下なのか。
発展具合や社会体制で優劣をつけ、対話の齟齬を生むことは、もうやめよう。
それぞれの国に生きる個々人が、今生きている現在を軸として、お互いの社会を見つめよう。
同じ目線でお互いを見つめなおし、対話を始めよう。
お互いが何を考えているのか知ること。
歴史や政治の問題に向き合う、私たち。
違和感への躊躇と、正解がなさそうだから話さないは、もうやめよう。
お互いが見えないもの、ここにないもの。
それを口に出せる時が、戦後から月日が長く経った戦後80年の、今である。
お互いに共感しながら、平等に見るための社会ができたことを、歓迎しよう。
それぞれが持つ答えがきっと、どんな問題にもあるだろう。
お互いの考えの答え合わせは必要ない。
必要なのは、一人ひとりが違う考えを持っていること、
お互いが何を考えているのかを知ることだ。
失っていく事を、受け止めること。
これから流れる時間の中で、第二次世界大戦の当事者と記憶、
記憶しようとする意志や、関連する活動や取り組みを、
私たちは多く失っていくだろう。
全てを保存して、継続して、応援していく事ができないというその事実を、
私たちは一度、受け止めなければいけない。
抗うことができない喪失を受け止め、一人一人が自分の生きる現代で精一杯生きること。
今を精一杯生きる中で、歴史や過去、東アジアの隣人達という存在は、
当たり前に存在している時代となっている。
自分を起点に、幸せで平和な社会を、考えること。
それを私たちは、していきたい。
そして、責任。
私たちは、過去の延長線上にみんな生きている。
生まれる国を選ぶことはできないが、私たちはみな、
どのように自分の生まれた時代を生きるのか、それを選ぶことができる。
80年以上前、この国と、この地域で、起こったこと。
それを忘れずに、共に東アジアの人々と生きたいと思うとき。
私たちはどんな選択が、いま、できるだろう。
発展や平和を享受する、私たちの世代は、どんな選択をすべきだろう。
どんな責任があるんだろう。
少なくとも、考え続けよう、問い続けよう。
行きつく責任は、一人ひとり違うかもしれない。
それでも私たちは、考え、問い続ける。その責任は、誰もが持っている。
私たちの未来の世代と社会が、歴史を繰り返してしまわないように。
みんなが、平和な社会に、住めるように。
最後に、私たちから今一度伝え、問いかけたい。
いまここに、ないものは、なんだろう。
私たちが、いま、見えていないものはなんだろう。
ここにあったらいいなと思うものは、なんだろう。
主語、共感、平等性、責任。
お互いが何を考えているのか知ろう。
失われていく過去を、受け止めよう。
考え、問い続けよう。
戦後80年のこの年に集まった、平和を願う声と、私たちの活動。
そこから紡ぎだされたこの談話。
私たちの願いは、これを届けることで、
あなたがあなたの「声」と「平和」。
そして、「行動」を見つけてくれること。
東アジアに生きる一人一人が、
平和を築くという強固な意志を、持てますように。
2025年8月1日
東アジア平和大使プロジェクトメンバー一同